「旧海軍司令部壕」日本軍が築いた地下の秘密基地!

海軍の重要な軍事拠点である「小禄飛行場」を守るため、この山の中に砦(とりで)が築かれた。

それが
「旧海軍司令部壕」。

 

山の中だと艦砲射撃や空襲にも耐えられます。

見晴らしもよく肉眼でも敵味方の識別ができるので、見張りには持って来い。

壮絶な人間模様も刻まれている。

 

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壕内は当時450mありましたが、現在は約300mが一般公開されています。

 

駐車場は4箇所。

大きな所は大型観光バスの立ち寄り所にもなっている。

 

季節問わず満車になる事はないので、必ずどこかにとめられます。

 

「駐車料金」

無料(100台)

「中央ゲート、東側ゲート」

08:00~19:00

 

ビジターセンター


壕内へは「ビジターセンター」から。

中に入ると階段があるので下ります。

 

受付窓口があるので、入場料金を払い中へ。

そこからさらに階段を降りる。

 

入場料金

 

大人 440円

団体 390円

 

小人 220円
団体 190円

 

身障者 半額

 

設備

「資料館」
「受付窓口」
「トイレ」

階段

地下へと続く階段は105段。

約20mほど続く。

 

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地面はぬかるんでいるので、滑らないようご注意を。

 

壕内のマップ図

旧海軍司令部壕の壕内マップ図_rwterr4re

壕内にはいくつかの部屋が点在し、それぞれ役割がありました。

当時の様子をそのまま再現しています。

 

①「作戦室」

②「幕僚室」

③「暗号室」

④「医療室」

⑤「発電室」

⑥「下土官・兵員室」

⑦「司令室」

⑧「信号室」

1つずつ紹介していくよ。

 

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迷路のようになっていますが、看板があるのでその通り進めば全て回れます。

 

①作戦室

軍および部隊が戦いを有利に進めるために、又は目的達成のために作戦を練る大事な部屋。

 

状況によって随時計画が変更される緊張感のある部屋だ。

ここは特に大事な所なので、コンクリートだけでなく漆喰(しっくい)も塗り補強されている。

 

②幕僚室

防衛計画の作成、出動時の指揮命令といった調整を行う部屋。

 

大田實(おおたみのる)海軍少将が自決される前に、まず6人いた幕僚が全て手榴弾を使い自決された所でもある。

その時の破片、弾痕の後が壁に当時のままくっきりと残っています。

 

③⑧信号室、暗号室

暗号機を使って壕の中から外にいる仲間と連絡を取りあっていた部屋。

 

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暗号機は陸軍、海軍が独自に設計開発したもの(現在はありません)。

 

当時の暗号とは?

日本軍が採用していた当時の暗号は「暗号書」「乱数表」を使ったもの。

暗号書とは辞書のようなもので、ある数字とある単語がそれぞれ対応しているものです。

 

暗号を送る側

①「文章を暗号書をもとに数字に置き換える」。

②「それを乱数表にかける」。

③「最後に受け取った側にどの乱数を使ったか、どの箇所から乱数を使ったかを示す符号を巧妙に電文の中に隠す」。

受け取る側

①「数多くの電文資料から同じ乱数表を使っているものを割り出して、その乱数を「剥ぐ」作業を行う」。

②「乱数をどのように使ったかを解き明かした後に、ようやく暗号書の割り出し作業に入る」。

③「解読に成功」。

1つ1つの数字は何を意味しているのか?それを解明する為、気の遠くなるような作業が繰り返されるのです。

 

しかし

この暗号方式、日米開戦の1年前からすでにアメリカは解読に成功していました。

 

当時の「大日本帝国海軍」は、暗号が解読されているとは知る由もなく変更はしなかった。

この為、日本が完敗しアメリカが大勝を博した典型的な例が「ミッドウェイ海戦」です。

 

ハード面の物量だけでなく、ソフト面の情報においても日本はアメリカに完全に敗れていたのです。

陸軍は毎月変更していたため、解読はほとんど出来ませんでした。

 

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通信は遠く離れた仲間内と連絡を取り合うのに大変便利ですが、敵に傍受もされるという諸刃の剣。

 

なので、敵に傍受されても解読されないよう工夫する必要があったのだ。

 

④医療室

負傷した兵の手当をする部屋。

 

しかし

当時の医療設備は今よりも充実しているわけではありません。

麻酔も不足していた事から重症の人は想像を絶する痛み、恐怖を体験したのです。

 

⑥下士官兵員室

兵を収容する部屋。

 

密集した状態で立ったまま睡眠や休息を取ったといわれる。

⑦司令室

受け取った情報を元に精査・整理し下の者へ支持を出す上層部の部屋。

 

1945年6月

大田實(おおたみのる)海軍少将は、この部屋で海軍次官に電文を打ち、拳銃自決を遂げました。

電文の内容

「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ。発 沖縄根拠地隊司令官」。

 

分かりやすく直すと・・

「沖縄県民は進んで軍に協力し戦って下さった。後世必ず特別の配慮をお願い致します」。

ということをお書きになっています。

 

当時の訣別電報の常套句だった「天皇陛下万歳」、「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言葉は一切なく、ひたすら沖縄県民の敢闘の様子を訴えています。

 

沖縄戦のあり方について「住民疎開が不十分なうえ、県民を巻き込んでしまってすごい苦しみを与えた」ことを内部から正式に海軍次官に宛てている。

 

つまり・・

戦前の日本は言論の自由はなかったというのは嘘だという事が分かります。

 

壁に書かれた「神州不滅」

「天皇陛下というのは決して私(わたくし)のために生きられる人ではなくて、真っ先に私心(わたくしごころ)を捨てられるご存在であるから、それがそこに込められた哲学が日本国であるから、いつまでも滅びないでいてほしい」という意味。

「滅覆米酷」

「自分の利益だけを追っかけるような主義だと、いつかはその国に滅びが来るだろう」という意味。

 

当時、世界は強い国が弱い国を攻め滅ぼし植民地にするのが当たり前という考えが普通だったのだ(国際法がない時代)。

 

鬼畜米兵という敵意むき出しの感情ではなく、本来何の為に戦うのか?を問うような考えさせられる言葉ですね。

ここは普段、柵(さく)が閉まっていて入れませんが中の様子は見る事ができます。

 

毎朝、職員が線香も上げている。

 

⑤発電室

ここは発電機が設置されていました。

発電機とは電気をおこす機械のこと。

 

壁&通路



かまぼこ型に掘り抜かれた壕内は迷路のようになっており、そのほとんどが「くわ」や「つるはし」で掘られたもの。

壁によってはぬかるんでいる所もあり、手で触ってみると細かい土がつきます。

 

つまり当時の歴史が今も昔も変わらず残っているという事です。

トンネルを掘るためにどんなに多大な労力と時間を要したのか、壁に刻まれたつるはしの1本1本の跡がそれを物語っている。

 

豪内

 

壕の生活は(うだるような暑さ、耐え難い熱気、蒸し返すような湿気)で劣悪な環境。

 

もちろん虫も出ます。

 

 

負傷した兵士は力尽き、ご遺体はそこら中に転がっていました。

 

腐敗臭と汚物でとても正常ではいられない臭いが充満していたのです。

この環境でよくぞ戦ったと本当に関心する。

 

 

以上が豪内の紹介でした。

外(明るい光)に出たくても出られなかった人の無念を思うと、残念でなりません。

日本の未来の為に戦って下さった英霊の方々には本当に感謝、感謝、そして感謝です。

 

売店

壕を抜けると売店。

 

(飲み物、お菓子、お土産、プリントTシャツ)など販売。

大日本帝国海軍のシンボルマークがついたオリジナルロックグラスや丸形の文鎮もあるよ。

 

資料館

ここはビジターセンターの中にある「資料館」。

 

終戦後、

 

壕内で発見された生活道具(水筒・やかん・グラス・食器・薬瓶・注射器)の他、大日本帝国海軍が着用していた(軍服、武器、家族にあてた手紙、遺留品)が展示されている。

 

住民たちの証言を綴った冊子、沖縄戦の写真やビデオ紹介もあるので、当時の状況がリアルに伝わってきます。

米軍関係者の方も見かけますが、彼らは一体どんな気持ちで見ているのでしょうか?

 

英語表記のパンフレットも置いています。

 

つる、くわはし

当時は掘削機械などありません。

この道具を使って硬い土を堀り勧めていったのです。

 

先は短く細いので土を掘るには恐ろしく非効率。

それでも頑張って今のような壕を築き上げたのです。

 

武器

「九一式手榴弾」
「八九式擲弾筒」
「ピクリン火薬手投弾」

これらは昭和に大日本帝国陸軍が開発した兵器。

 

射程不足と命中率が低いという欠点があり、 ここでは残念ながら自決用に使われる事が多かった。

銃剣に見せた槍(やり)もありますが、これで戦うのも非現実的。

 

しかし、

無いよりはあったほうがいいかも知れません。

 

少将旗

海軍(大将、中将、少将)がこの船に乗ってますよってことを見せる将旗(しょうき)の旗。

日の丸デザインです。

 

アメリカが戦利品として持って行きましたが、奇跡的に沖縄に戻って来ました。

見所の1つです。

 

戦艦大和の模型

大日本帝国海軍が世界最大の戦艦として建造したのが「大和・やまと」です。

全長 263m
38.9m
排水量 72,809t
搭乗員数 約2500名

 

当時の帝国海軍は大和の実績もあることから「戦艦こそが海の王者だ」と考えていました。

 

しかし、

今後戦争の主役は「航空戦力だ」と舵をきったアメリカは、戦艦重視だったこれまでの戦略を一変。

航空機・戦闘機が離発着できる空母を建造することになります。

 

象徴的な真珠湾(ミッドウェイの戦闘)では敵の空母、戦闘機には追いつけず大和の46センチ砲を使うことなく撃沈か、敵と戦わずして引き返すしかありませんでした。

 

MEMO

 

沖縄は本土から「見捨てられた」とよく言われますがあれは真っ赤なウソ!

 

実際、戦艦大和は沖縄に向かいましたが敵の魚雷により撃沈。多くの人命を失いました。

 

この事実からも沖縄を時間稼ぎの捨て石にしたというのは「ウソだった」という事が分かります。

 

海軍司令壕の「経過年表」

「1944 8月」
山根部隊(設営隊)による海軍司令壕の建設がはじまる。

 

「1945 1/20」
大田實 海軍少将着任。

 

「4/1」
米軍 沖縄本島(中部、北谷、読谷)に上陸開始。即日、嘉手納飛行場を占拠。

 

「5/31」
米軍 首里を占拠。

 

「6/4」
米軍 第六海兵師団 小禄地区に上陸。

 

「6/6」
米軍 小禄飛行場占領。
大田實司令官「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と電文打つ。

 

「6/11」

14日にかけて米軍の小禄地区総攻撃で海軍沖縄方面根拠地帯ほぼ全滅。

 

「6/13」
大田實司令官以下、幕僚5名壕内で自決。

 

「8/15」
日本無条件降伏。

 

「8/27、28」
米軍司令官以下、将兵の戦死確認を行うため日本兵の生き残りとともに壕内に入る。司令官以下、幕僚の死を確認。

 

「1953年」

政府による遺骨収集開始。

 

「1970年」

沖縄観光開発事業団(現、財団法人沖縄観光コンベンションビューロー)によって修復、公開。

海軍戦没者慰霊の塔

この慰霊塔は「海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会」によって建立されました。

自決した大田實(おおたみのる)海軍少将の遺骨を含め(軍人・軍属・犠牲になった住民の方々)も平等に弔っています。

 

徽章(きしょう)

このマークは「大日本帝国海軍」を表すもの。軍艦を象徴する錨(いかり)マークに桜がデザインされています。

 

普通、アメリカを含む海外どこの国でも鷹(タカ)、虎(トラ)といった猛禽類(もうきんるい)がシンボルマークです(人を殺害するという意味で)。

 

しかし日本だけは優しい桜の花。

それに錨(いかり)をつけ足してるだけ。

 

これは「怒り狂って人を殺害するためではなく、日本祖国・文化を守るため守るべきものを守る、そのためには命を懸ける、その覚悟がある、散る覚悟がある」という意味の桜。

 

世界の中でも日本が胸を張るべき「大日本帝国海軍」のマークで、海外では今でも誇りあるマークとして知られています。

県内ではここ以外に見られる所はありません。

 

ちなみに・・

日本警察の「旭日章(きょくじつしょう)」のデザインも桜です。

 

大田實(おおたみのる)海軍少将司令官

「海軍最先任者として沖縄根拠地隊司令官を務め、米軍上陸時に約1万人の部隊を率いて沖縄本島小禄半島での戦闘を指揮」。

「米軍の攻撃により司令部は孤立」。

「6月13日 壕内で拳銃自決」。

「死後、海軍中将に特別昇進する」。

出身 千葉県
階級 海軍中将
昭和20年 1/20 沖縄に赴任

公園

旧海軍司令部壕の地上は平和を発信する戦跡公園として、きれいに整備されています。

展望台からは那覇市や豊見城市、東シナ海までも見渡せる。

 

広さは6、7ヘクタール。

過去に壮絶な出来事があっただなんて想像もできない。

 

写真集





感想

現在は何もないただの洞窟ですが、当時は1つ1つの部屋に役割があり、人の出入りがあったのです。

火薬を詰め込んだ大きな爆弾が近くに着弾するたびに爆音・地響きが起こり、中にいる人達は心臓をえぐられる恐怖との戦いでした。

 

そんな中、

玉砕覚悟でここから兵が飛び出し帰ってこなかったものも大勢います。

 

中には自決した人までいました。

若い人だとまだ思春期の幼い子供達。

 

夢や希望もあったでしょう。
恋愛もしたかったでしょう。

それが戦争というものによって命を落としたのです。

 

ここには教科書で悪物扱いされた軍人さんが、実はそうではなく住民と協力した様子や米兵と奮闘した記録が残っています。

ぜひ一度は訪れて、歴史や当時の人達の思いに触れてほしいと思います。

 

ガイド案内もあるので修学旅行生にもオススメ。

壕内は電気が通っていますが、薄暗いので子供はちょっと怖いかな・・

 

口コミでは

「初めて学んだ事がいっぱい」、「考えさせられる」、「リアルな戦跡」と評判。

じゃらんレンタカー

 

いい所

  • 壕内は冷暖房が効いているので、季節とわず快適。
  • 雨の日でも観光できる。

残念な所

  • 観光雑誌にあまり掲載されないので、認知度が低い。
  • 場所が分かりづらい。

平和ガイド案内(無料)

  • 毎週金曜日実施(定員20名の先着順)。
ワンポイントアドバイス
  1. 写真撮影
    オートだとフラッシュで白飛び、手動だと真っ暗。撮影は非常に難しい。
  2. 混雑状況
    夏休み、ゴールデンウィークでも混雑しません。
  3. 服装
    壕内はひんやり肌寒いので、羽織るものを持っていくといいでしょう。足元はサンダルでOK。
  4. バリアフリー
    車イスの貸出あり(2台)。ただし壕内の見学については入口が階段となるため、出口(スロープ)からの入場となります。電話にて事前予約が必要。
  5. お腹空いた・・
    園内に食事処はありません。市街地に出ればいくつかあります。
名称 旧海軍司令部壕
(きゅうしれいかいぐんごう)
住所 沖縄県豊見城市豊見城236
電話番号 098-850-4055
営業時間 08:30~17:00(10~6月)
08:30~17:30(7~9月)
定休日 無休。
台風はクローズ。
入場料金 有料
駐車料金 無料(100台)
所要時間 約1時間
アクセス 那覇空港(なはくうこう)

231号線

旧海軍司令部壕(約30分)
旧海軍司令部壕の評価
景観度
(5.0)
満足度
(5.0)
人気度
(2.0)
総合
(3.0)
周辺には・・


特になし。