\あなただけにプロフィール暴露/

世界遺産「勝連城跡」の城主は天下を目指すがはたして歴史の勝者は?

東南アジアとの貿易を活発化し栄えた勝連は天下を目指すようになる。果たしてその目論見はうまくいったのか?

城内は役割の異なる4つの区画「曲輪(くるわ)」という部屋で構成されています。頂上から見下ろす景色はあなたの想像を超える!

 

下から上に

 

四の曲輪(くるわ)

三の曲輪(くるわ)

二の曲輪(くるわ)

一の曲輪(くるわ)

 

と続く。

入場料金は無料だよ

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アスファルトできれいに整備されています。広いので大型観光バスも余裕。

シーズン、ゴールデンウィークでも特に混雑しません。

 

駐車場を出て横断歩道を渡る→勝連城跡の入り口へ向かうよ。

 

入り口

横断歩道を渡った後はこの一本道を進む。

傾斜があるのでサンダルではとても歩きにくい。シューズがベスト。

 

階段

しばらく進むと階段が現れます。登って下さい。

 

ここで勝連城跡の入り口に立ちました

ここは草原の広場でとても広い空間。

右手にご覧の勝連城跡が見えます。

 

四の曲輪(くるわ)

まずはこの草原の広場「四の曲輪(くるわ)」から紹介。

 

ここは貝塚が発見された事から、当時は城に住む人々の生活空間だったと推測される。池もありました。

 

曲輪(くるわ)にはそれぞれ5箇所の井戸が存在します。

ここには「ウタミシガー」、「ミートゥガー」と2つあります。かつて井戸のまわりは壁の部屋で守られていた。

「カー、ガー」とは井戸、泉を意味する沖縄の言葉。

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ウタミシガー(井戸)

井戸は水の確保というのが目的だけではありません。水の量によって1年の豊作、凶作(野菜、米などの食べ物がいっぱい取れるか?取れないか?)を占う場所でもありました。

 

なので「ウタミシガー(試す井戸)」と名付けられた。旧暦元旦の初拝の際は祝女(ノロ)が祈りを捧げていたともいわれる。

 

ミートゥガー

ここは「縁結びのカー(泉)」といわれていた。女性が自由な行動を制限された時代でも水汲みは若者の仕事であり、男女の大切なコミュニケーションの場でもあったのだ。

 

三の曲輪(くるわ)へと続く階段

さあいよいよお城へお邪魔する。この階段を使って頂上へ向かうよ。

足場はしっかりと固定されているので大丈夫。ただ段差が高いのでちょっと苦労します。

 

MEMO

 

現在は木造の階段が設置され歩きやすくなっていますが、当時は石の階段で段差も高く急勾配になっていました。

 

これは敵軍の体力を消耗させ城壁より攻撃(弓、投石)を加えることで、侵攻を難しくする効果があった。

 

重たい防具・武器を持って攻め入るのはかなり大変だったと推測できるね。

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三の曲輪(くるわ)


最初のお部屋へ到着。

ここは曲輪(くるわ)の中で1番広い部屋。高い壁もないので開放感抜群。

 

水色がほぼ同じ目線に来るのでテンションアップ!空ってこんなに広かったのぉ??って驚きますよぉ~。その様子はまるで天空の城「マチュピチュ」。石垣の様子に踊り階段はまんま遺跡。

 

この広場を「御庭(うなー)」といい

 

「肝高の御嶽(うたき)」

「トゥヌムトゥ」

「すり鉢状遺構」
「ウマチー」

 

といったものがあります。

かつてこの場所で弓矢の稽古なども行われていました。

 

肝高(きむたか)の御嶽(うたき)とは?

神様にお祈りを捧げる「場・空間」のこと。

 

旧暦

 

二月と三月に「麦」
五月と六月には「稲」

 

のそれぞれ初穂(はつほ)や豊作を祈っていました。

 

その他、城内の祭祀(さいし)行事や政治的な儀式も行われていた。

神人(かみんちゅ)と呼ばれる女性祭司(さいし)を中心に行われた「ウマチー拝所」もあります。

御嶽(うたき)→拝みの対象となっている空間にはよく「クバの木」があるよ。

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祭司(さいし)とは?

祭典や宗教上の職務をつかさどる者。

祭祀(さいし)とは?

祭り、祭典。

 

二の曲輪(くるわ)

ここは一段上がって本丸があったとされる場所。

丸い梁がいっぱいある所ね。

 

「舎殿(しゃでん)の跡」

「ウミチムン(火の神)」

「ウシヌジガマ(危険が及んだ時に逃げ込んだとされる洞窟)」

があります。

 

舎殿(しゃでん)

↑イメージ図。

 

この広場には政治が行われたと考えられる舎殿(しゃでん)がありました。中国の影響が強かった事から大体こんなデザインだったのでは?と想像がつきます。

 

儀礼の場としても使われ多くの配下の者を前に様々な指示を出す「按司(あじ)」の姿が見られたことでしょう。

この時代屋根は板葺きが主流でしたが、周辺からは大和系瓦も発見されたことから「瓦葺きの建物であった」ともいわれる。

 

按司(あじ)とは?

その地域の支配を行っていた首長、豪族。

社会的身分の最高位をあらわす位階として、おもに王族から任命され行政区域の領有を保障された。

 

階段

さらに上へ行くにはこの階段を登る。

 

ラストスパート

また階段・・これを登りきれば最上階の「一の曲輪(くるわ)」だ。かつてこの階段の先に、木造の楼門(ろうもん)がありましたが現在はありません。

この階段は手すりがないので、落ちないよう気をつけて下さい。

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MEMO

 

上へ行くにつれ階段の幅が狭くなっている事に気づきませんか?

 

その理由は一度に大勢の敵が攻め入れて来ないための工夫。モタモタしていると城壁の上から攻撃の餌食となる。

 

一の曲輪(くるわ)

到着!ここが勝連城跡の中で1番高い部屋。標高100mです。

青空が又一歩近づいた!

 

風の吹く気持ちのいい空間は爽快そのもの。恐る恐る下界をのぞいて見ると・・人、車、建物が米粒以下。

目線が高くなる事でより遠くを見渡せ景観度がグンっとアップします。

 


東西南北360度の景色が一望できるので、守りの砦にするにはまさにうってつけ。不穏な動きがあればすぐに察知、警戒ができた事でしょう。

 

記念撮影も存分に楽しんで下さい。

 

この場所へやってくると観光客はみんな歓声を上げて驚きます。だってそこにはあなたの想像を超える景色が飛び込んでくるのですから。

 

 

発掘調査によりここから遺物等が出土した為、当時ここに宝物殿(ほうもつでん)のような建物があったと推測されているよ。

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海景色

西へ視線を向けるとご覧の海景色。

海を見慣れた沖縄の人でもウットリするそのエメラルドブルーは今日も絶好調!何とここは沖縄の東海岸3分の2までも見渡せる眺めのいい所なのだ。

 

こんな風景を城主も見ていたなんて感慨深いですね。中城湾の先にはうっすら「知念半島」、「久高島」、「津堅島」も見渡せます。

そして宿敵、護佐丸(ごさまる)の牙城・中城城跡もここから一望できます。良からぬ動きもすぐに察知できるね。

 

石積み

勝連城の石積みは四角に加工しそのほとんどが「布積(ぬのづみ)」という手法で積まれています。鈎(かぎ)状に組むことで強度を増した工夫も見られる。

 

これで勝連城跡の紹介は終わり。帰りはひたすら下るだけなので楽ちん。お疲れ様でした☆

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ビジターセンター

ここは勝連城跡の歴史資料を集めたビジターセンター。

休憩所も兼ね備えています。駐車場にあるので歩き疲れた方はゆっくり畳の部屋でくつろいで下さい。

 

設備

 

「うるまーる(売店)」
「出土品の展示」
「休憩スペース」

外には喫煙スペースも設けているよ。

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休憩スペース

ここが畳の部屋。

広い空間なので足を伸ばしてゆっくりと休息がとれます。弁当、飲み物を持参してもOK!

座っているおばあちゃんの名前は「東江(あがりえ)ツル」さん。伊計島で開催された「イチハナリアート」で生まれたおばぁです。

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本物と間違えるほどリアル。イタズラすると夢に出てくるかもよぉー。

 

うるまーる(売店)

うるま市の特産品を扱った商品がズラリ。闘牛バッチはここならではのオリジナルアイディアです。水分補給にも利用しましょ。

 

写真集


勝連城跡の歴史

この城の最後の城主が「阿麻和利(あまわり)」

若くして「按司(あじ)」首長になり人々から慕われ歴代の勝連按司(あじ)の中でも優秀、地の利を活かした海外貿易を盛んに行い力をつけました。

 

おかげで勝連は豊かな経済力と軍事力を持ち琉球でも有力な都市に栄えた。

 

勢いをつける「阿麻和利(あまわり)」に、琉球王「尚泰久(しょうたいきゅうおう)」は脅威をいだき、自分の娘「百十踏揚(ももとふみあがり)」を嫁がせます。

 

さらに父「尚巴志(しょうはし)」の代から仕えていた重臣「護佐丸(ごさまる)」を中城におき見張りをつける。天下統一を目論む「阿麻和利(あまわり)」は、こちらを監視する中城城・護佐丸(ごさまる)が目障りで仕方なかった。

 

そこで考えた・・

「護佐丸(ごさまる)が首里城(琉球王が城を構え住む所)を攻める為に兵を集め軍事訓練をしている。今すぐ責めないと首里城が危ない!」と嘘を王に進言します。

 

それを聞いた王は偵察隊を送り「阿麻和利(あまわり)」の言った事が本当だとわかると(勘違い)、「阿麻和利(あまわり)」を総大将にし中城城を攻め滅ぼしました。

中城城が消えたことで琉球制覇の夢が一歩近づいた。

 

「阿麻和利(あまわり)」の策略を知った妻「百十踏揚(ももとふみあがり)」は勝連城を脱出。首里に逃げ帰り夫に謀反(クーデター)の意があることを王に伝えます。

 

事実を知った王は軍勢を送り勝連城・阿麻和利(あまわり)を滅ぼしました。それによって勝連は衰退、琉球の権力基盤はより安定に向かいました。

 

阿麻和利(あまわり)

もともとは百姓の子・平民。

若くして勝連の10代目「按司(あじ)」首長となった「阿麻和利(あまわり)」は良港を持つ地の利を生かして本土や朝鮮、東アジアなどとの交易を盛んにしてこの勝連を大いに繁栄させました。

 

最後は首里軍に滅ぼされ歴史の悪者になりましたが、地元の人は英雄だったとたたえている。

 

勝連城跡は誰が築いたの?

築城は12世紀頃と伝えられていますが、正確には現在もわからない。

 

感想

堂々とその姿を見せる勝連城跡はまるで異国の古城。見上げるほどの高い丘に築城され違和感なく山と一体化しています。

 

まるで山の要塞。その圧倒的存在感は現在も健在だ。波打つ城壁の曲線はどのグスク(城跡)も共通。

見た目が美しいだけでなく攻めにくい構造で防御にも長けています。

 

急階段があったり
迂回させられたり
狭い門があったりと

何気なく登る階段一つ一つにしても「城を守る知恵、工夫」が施されているのだ。

 

簡単には頂上まで行かせてくれませんが、一度でもそこへ到達すると素晴らしい景色が待っています。

そこにだけに吹く「風」をあなたもぜひ体感して見て下さい。

 

口コミでは・・

「県内にある城跡の中でも、最も景色が素晴らしい」、「観光してよかった」、「歩いて頂上まで行く価値はある」、「ドライブに必ず立ち寄りたい」と高評価。

 

特徴

  • ここ勝連城跡は平成12年「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産・ユネスコに登録されました。

イベント

  • 8月
    「ぐしく島唄あしび」
  • 10月
    「中城護佐丸まつり」
  • 11月
    「プロジェクションマッピング」

 

ワンポイントアドバイス
  1. 勝連城跡の読み方→(かつれんじょうあと)。
  2. Wi-Fi対応。インターネットもできます。
  3. バリアフリーは未対応
    階段があるので車イス、ベビーカーの人は行けません。
  4. 頂上まではそんなに距離はありませんが、登るのに少し体力を使います。日陰は無いので熱中症にならないよう帽子・日傘をするなど対策をして下さい。
  5. ガイドツアーもあります。
  6. 地元では「初日の出」スポットとしても人気。
  7. 天候
    シーズンは突発的に雨が降って、サッと止む事が多いです。それが局地的に発生します。天気予報はあまりあてにせず、怪しい雲を見かけたら事前に対策を取りましょう。
  8. お腹空いた・・
    園内に食事処はありません。ここから近くの海中道路に「海の駅あやはし館」があります。
名称 勝連城跡
(かつれんじょうあと)
住所 沖縄県うるま市 勝連南風原3908
電話番号 098-978-7373
営業時間 なし
定休日 年中無休
所要時間 約1時間
駐車料金 無料(40台)
入場料金 無料
アクセス 那覇空港(なはくうこう)

58号線

16号線

勝連城跡(約1時間)
勝連城跡の評価
景観度
(5.0)
満足度
(5.0)
人気度
(4.0)
総合
(4.5)

 

周辺には・・
「海中道路」はドライブスポット。島へ簡単にアクセスできる!「海中道路ビーチ」BBQ&マリンスポーツも楽しめる景観スポット!